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「くすの木の宿屋」について

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僕が大学生の時に、4年間ひとり暮らしをしていたマンションの思い出を書く。

 

阪急六甲駅から、勾配の急な坂道を延々と登り続けること、25分。原付だと、エンジンが悲鳴をあげ続けて、10分。ようやくたどり着く。
一度、GPSを使って調べたことがあるが、標高はだいたい200mぐらいだ。
鉄筋コンクリート造、7.5帖少し広めのワンルーム、3点ユニットバス、1口IHコンロ、収納は少ないがワンルームにしては部屋が少しだけ広いので、なんとかなる。学生専用マンションで、大学生協を通さないと賃貸契約を結ぶことができない。
築年数は経っているが、日々のメンテナンスが行き届いていて、また設備投資も積極的にあったので、古さはあまり感じられない。
家賃は、同じ条件の下界(阪急六甲駅より南側、平地)の学生マンションと比べると少し安い。管理人さんが常駐していることを加味すると、安い。オーナーの優しさまで含めるとかなり安い。
原付がないとまともに生活できないくらい、とんでもなく不便なところだったが、僕はとても気に入っていた。いつも静かで、自然豊かで、落ち着いた環境だったからだ。

 

敷地内に、大きなくすの木があった。雨が降っていても、多少の雨なら、その木の下にいれば濡れないぐらいの、立派な木だった。マンションを建てる際には、わざわざ、もともとあったくすの木を伐採せずに済むようにしたらしい。
マンション名は、ドイツ語で「くすの木」を意味する言葉に由来する。とても変わった名前で、マンション名を口頭で言うときは、いつも聞き返された。

 

くすの木のすぐ南側には、竹林もあって、緑豊かな環境だった。黒猫をよく竹林のあたりで見かけたので、おそらく住み着いていたのだと思う。
また、管理人さんがいつも庭を綺麗に手入れしていて、いつの季節でも色鮮やかな花がたくさん咲いてあった。
花のことはよくわからないけど、母親が遊びに来た時はいつも庭を見て感心していたので、それなりに知識と時間を費やして花を咲かせていたのだと思う。桃や金柑の木もあった。
マンションの敷地内も、敷地外も、自然豊かな環境だったが、不思議と虫は少なかった(4年間で1度だけ、大きなムカデが現れたことがあって、その時は自分では太刀打ちできなくて、管理人さんに頼んで退治をしてもらった)。
風の強い日は、くすの木と竹が揺れてザーザーと音を立てる。雨の日は、近くの川の轟音が聞こえる。
山の上なので、夏は少しだけ涼しい。日差しの強さは下界とかわらないが、空気の温度が全然ちがっていた。夏の日の帰り道は、下界から上に登っていくにつれ、涼しい風が吹いてきて、本当に気持ちが良かったのを覚えている。
冬に雪が降って積もると、冗談じゃなくて本当に、マンションから出られなくなる。マンションの出入り口が傾斜の強い坂道になっていて、雪が積もると滑って転んでしまうからだ。
秋は、マンションから六甲山の紅葉を見ることができた。

 

なにより気に入っていたのは、オーナーの優しさと、管理人さんの気配りで、とても住み心地がよかったことだ。
毎朝、何かしらの作業をしていて、いつも外にいる管理人さんと、「いってきます」「いってらっしゃい」の挨拶がある。何か困ったことがあれば、すぐ真摯に対応してもらえる。ゴミ出しや来客時のルールなども、ワンルームマンションにしては、だいぶ快適なものだった。
入学式の日は、オーナーが外に待機している。ネクタイの結び方を教えてくれて、写真を撮って、最後にいってらっしゃいと送り出してくれる。
また、毎年、年が明けると鏡開きが行われ、入居者に善哉が振る舞われる。バレンタインにはモロゾフのチョコレート、クリスマスにはお菓子やレトルト食品の差し入れがある。
隣人に会うのがなんとなく嫌で参加したことはなかったけど、バーベキュー大会やスイカ割り大会もあった。
学生が多く住んでいるところは、だいたい騒音がひどいものだけど、おそらくオーナーや管理人さんの人柄にみんな気を遣うのだろう、騒音に悩んだ記憶はほとんどない。
オーナーや管理人さんに、迷惑をかけることはできないと、おそらくきっとみんな思っていたはずだ。

 

家を出て、下界までくだっていく道中、夜は神戸の夜景を一望できるのが好きだった。
とても雰囲気のいい街だから、雨やアルコールのせいで、原付が使えなくて歩いているときも、楽しかった。
下界の友達の家で飲んでいて、深夜になって家に帰る時には、汗だくになって歩いているうちに酔いが覚めた。
彼氏の家に何泊もして、久しぶりに自分の家に帰ってきたときは、なんだかほっとした。やっぱり、ここが僕の家で、僕の気に入っている家なんだと感じた。

 

僕の4年間の大学生活には、いろいろな思い出がある。良い思い出ばかりだと感じる。そして、その思い出の一端に、「くすの木の宿屋」がある。
雰囲気のいい街で、自然豊かな山の上で、親切で心優しいオーナーと管理人さんのお世話になって、とても楽しい大学生活をおくることができた。